『黒人差別って、遠い昔のことではないんだ。』「ドリーム」【映画レビュー(若干のネタバレあり)】

 

少し考えてみればわかることなんですが、あの有名なキング牧師の演説。あれってそんなに昔のことではないんですよね。

恥ずかしながら僕は、どこか戦前のアメリカで起きた出来事のように思っていました。

でも、あの演説が行われたのは、年号で言うと1963年。ビートルズがイギリスでファースト・アルバム『プリーズ・プリーズ・ミー』を発売した年なんですね。

なので今のお婆ちゃん世代はこの差別の中にいて、指定の区画に押し込まれ、受けられる教育にも格差があり、制度的差別は無くなっても偏見の目は消えない。就職や投資のチャンスも白人より少なく、文化資本が少ないために、より格差が広まっていく。そんな社会で生きていただなんて、そしてそれが現代にも根付く問題になっていたなんて、ここ最近まであったジョージ・フロイドさんの死に抗議した連日の暴動を解説した映像を観るまで、気が付きませんでした。

この映画を観るまでもそうです。

「黒人差別って月面着陸の少し前まであったんだな…あれ?ってことはそんな昔のことじゃないのか…そうか…」

しかし、それが現代にまで繋がる格差や差別の問題にまでは思い至らなかったわけですが。

偏見というものは自覚なく現れてしまうもので、その偏った見方を変えていけるものは、知識と経験だと思っています。

この映画は、差別の中で才能が、チャンスが、いかに潰され、夢がその人にとっていかに遠い存在であるかを、3人の黒人女性の物語を追い、共に経験していくことで僕に教えてくれました。

そして、それが例えアメリカの最高頭脳集団であるNASAの中にあっても、染み付いた偏見は消えず、多様性の力を発揮するまでにいかに時間がかかるかということも。

同時に、その多様性こそが力なのだということも、この映画は教えてくれました。

稚拙な文ながら、この映画を観て感じたことを、感想として、以下に記したいと思います。よろしければご覧ください。

あらすじ

1960年代の初め、人種差別が横行していたアメリカで、初の有人宇宙飛行計画を陰で支えたNASAの黒人女性スタッフの知られざる功績を、類稀な数学の才能を持つの主人公のキャサリン・G・ジョンソン(タラジ・P・ヘンソン)と、友人であり黒人スタッフをまとめる役割を持つ(正式な管理職ではない)ドロシー・ヴォーン(オクタヴィア・スペンサー)、もう一人の友人でエンジニアのメアリー・ジャクソン(ジャネール・モネイ)を中心に描きます。

アメリカの最高頭脳集団にも存在する差別と偏見。

僕の観てきた映画の少なさにもよるかと思いますが、何か事件とかがあるわけではなく、実在した、言ってみれば『普通』の黒人の、特に60年代のアメリカの日常を描いた映画は、あまりなかったように思います。

公共の場での白人と有色人種の座席の隔離。図書館の利用できる本の制限。トイレの隔離。住む場所の隔離。通える学校の制限。様々な差別が出てきます。

—以下ネタバレを含みます。—

主人公のキャサリン・G・ジョンソンさんは、その類稀な数学の才能から、NASAで計算を行う部署に配属されます。

まだ、宇宙船の軌道計算などは機械ではなく人間が行っていた時代です。キャサリンは毎日変わる宇宙船の軌道やその他…多分耐久性とかですかね。あらゆる計算の間違いがないかをチェックする役割を担っていました。

しかし、何時間かに一度、彼女は20分くらいはかかる別棟に走って行かなければなりませんでした。

なぜならキャサリンのいる部署のある棟には『黒人用のトイレ』がないからです。

部署に配属された次の日、共同で飲めるコーヒーの隣に新しく『黒人用』が用意されていました。

上司はある日言います。

「君には期待しているんだ。なのになぜいつも君はいない?なぜそんなにもどこかに行く必要があるのだ。」

これを聞いてキャサリンの不満が爆発し、涙ながらに訴えます。自分の置かれている環境を。

そこで上司は初めて気がつきました。『差別』というものに。

この後、上司はトイレに掲げられている『黒人用トイレ』という看板を破壊します。これは少なくともNASAには、制度上の差別はなくなったことを意味しました。

メアリー・ジャクソンさんは研究所の技師訓練プログラムを受けることを上司に勧められます。そのプログラムでは、いくつかの主要な講座を修了すれば、エンジニアとして昇進することが約束されていました。

しかし、その講座を修了するには白人だけにしか門戸を開いていないハンプトン高校に通わなくてはなりませんでした。

メアリーさんはハンプトン市を訴えます。高校に通うために訴訟を起こさなくてはならないのです。すごいですよね。

結局メアリーさんは高校に通えることになるのですが、講座では唯一の黒人。同時に唯一の女性でもあります。凄いですね。本当に強い人間だと思います。

ドロシー・ヴォーンさんは、黒人スタッフをまとめる役割を担っていましたが、それに見合った役職をもらっているわけではなく、交渉をするも聞く耳をもたれない状況でした。

しかも行く行くは今人間が行っている計算も機械がするようになってしまう。そうすると多くの黒人スタッフが解雇されてしまいます。

そこでドロシーさんはその機械に使われているプログラミング言語を我流で学び、スタッフに教えようと試みます。

しかし、図書館でプログラミング言語の本を借りようとするも、黒人用のエリアにはありませんでした。ここにもまた機会の不均等があります。

ドロシーさんは仕方なく白人用のエリアに入り、結局その本を盗み出します。

なんとも言えない不条理が、こんなところにもあったんですね。

キャサリンさんの上司による『黒人用トイレ』看板破壊の後、ドロシーさんはトイレで、役職をもらえるよう交渉していた上司(?)に出くわします。

上司(?)は言います。

「わかってほしいの。私は決して差別意識や偏見を持っていたわけではないのよ。」

—ネタバレ終了—

ああ…そういうもんなんだなと思いました。

どんなに頭のいい人でも、社会でルールが定められ、常識のようになってしまっていることや、あえて考える機会のない物事については、その問題点や矛盾、そしてそれにより虐げられてしまっている人がいることに気がつかないのだと思いました。

僕が黒人差別について、どこか戦前のアメリカで起きた出来事のように思っていたことと似ているかもしれません。

そしてそれが現代の格差やその他の問題につながっているということは、さらに調べなければ理解できませんでした。

物事に疑問を持つ心と、なによりも良心と優しさを、忘れてはいけないと思いました。

理不尽とは戦い、勝ち取らなくてはならない。

『アメリカは人種の坩堝』という言葉を学校で習いました。

多種多様な人々がいる中で、自分以外の人間を理解することは、やはり難しいことだと思います。一個人にしたって、隣近所の人と交流し、お互いを理解しあっているかと言ったら、そうでもない人の方が多く、中には隣人の名前も、顔も知らない人もいるのではないかと思います。

理解できないことは恐怖へと変わります。

そして、生まれた時からあるルールや常識を疑うことはなかなか難しいことです。

アメリカという国の今日は、そういった軋轢を宿命的に背負いながらも、人々の努力や戦いの中で、少しでも良い方向へ転がるように、明日を勝ち取った日々の結果なのではないでしょうか。もちろん、いまだに完璧ではなく、戦わなくてはならない、理解し、理解してもらわなくてはならないことはたくさんあると思いますが。

多様性は力だと思っています。

それは適材適所、それぞれの能力や才能が発揮できる場所と機会を均等に、ふんだんに発揮できることで、様々な角度で力が生まれるからだと思います。

誰かのチャンスを失くしてしまうことは、社会の成長のチャンスも失くしてしまうことです。
(成長が必ずしも幸せにつながるのかという話は置いておいて。)

生まれや、肌の色や、その他の理由に囚われてチャンスを失くしてしまうことのない社会の実現には、政治のシステムだけではない、僕たちの理解や努力が必要なのではないかと思います。

日本に差別はないのか。

日本に差別は、ないわけがないです。

女性への差別、性的マイノリティーへの差別、中国人や韓国人に対する偏見はよく聞きますし、制度的な面でも外国人に対する扱いは本当に酷いものです。技能実習生の受け入れの実態や、入国管理局の問題もあります。

ある人を海に飛び込ませたいなら、その人がもし、

アメリカ人ならば「飛び込めば英雄になれるよ」
イタリア人ならば「飛び込めば女の子にモテるよ」
日本人ならば「もう、みんな飛び込んだよ」

と言えばいい。

という言葉を聞いたことがあります。

日本人の部分、めちゃくちゃ思い当たります。

空気を読むのが得意な日本人は、やはり人と違う人を嫌う傾向があると思います。そして思い当たります。

そして人権についての意識が低いのか、または民族性なのか、
『悪いことをしたのなら、その人が不当な扱い受けて当たり前。ルールを破った方が悪い。例えルールが間違っていたとしても。』
日本にはそういう意識を持つ人が多いのではないかと、カルロス・ゴーンさんの事件を見ていて、強く思いました。

ドロシー・ヴォーンさんがプログラミング言語を学ぶために図書館から本を盗んだ時に、あなたはドロシーさんを責めることができたでしょうか。

入国管理局の問題で言うならば、入国管理局の上限のない長期収容は拷問にあたるとして、国連から2度の是正勧告を受けているそうです。ルールを破って入国してきた人には、どんな扱いをしてもいいのでしょうか。

楽天のオコエ瑠偉選手の、Twitterに投稿した過去の出来事も話題になりました。

先生は言った。親の顔は肌色で塗りましょう。でも、俺はその時の反抗心からか涙ながら、茶色のクレヨンをとり親の顔をかいた。出来上がった後はもちろん皆に笑われた

人と違う人を笑う性質は、もしかしたら日本人にかかわらず、みんなが持っているものなのかもしれません。しかしこんな経験、子供が味わっているかと思うと、なんとも言えない憤りと、罪悪感を覚えます。

実は、クラスに一人は外国人の生徒がいる環境で育ちました。

個人的な話ですが、僕の住んでいる市は外国人労働者が多く、当たり前に身近に外国人がいて、クラスに一人は外国人の生徒がいました。

馴染んでいる人もいればそうでない人もいましたが、なにか差別的な出来事があったか。市の教育や先生の努力があったのかもしれませんが、あまりなかったように思います。

いやっ、そんなことはない。気づいていないだけできっとあったはずです。僕自身にも、記憶があります。

一人の外国人が転校してきて、いろいろ話すのですが、言葉が通じず、ノリも少し違う。でも、その子は寂しいからよく付き纏ってくる。それがだんだんと鬱陶しくなってきて、ぞんざいな扱いをしてしまった記憶があります。友達も、身体的な特徴の違いをからかったりしていた記憶があります。

なんでもう少し優しさを持って接することができなかったのかと、逆の立場だったらどんなに辛かったのかと、小学生だからという言葉で片付けることはできますが、自分の器の小ささが出ているよなと、後悔の念があります。

その子は、そう言えば気がつけば居なくなっていて、両親の仕事の関係で転校したのか。外国人の義務教育の問題もありますから、退学したということも考えられます。

昔の外国人の同級生とかは、今どうしているのかと思うことがあります。

気がつけば居なくなっていた外国人の同級生もいれば、小学校から中学卒業まで学校にいた人もいます。でも考えてみれば高校には外国人の同級生はいませんでした。

みんなちゃんと高校を卒業できたのでしょうか。大学に進学できた人はいたのでしょうか。

そもそも言葉のハンデがありますし、文化資本の問題もやはり絡んでくるなと、大人になると非常に思ったりもします。

チャンスが均等に配られているのでしょうか。なんとも…なんともです。

物語としては、個人的には少し物足りなかった。

ここで映画の面白さの話になってしまって恐縮ですが、個人的には、期待していたほどではなかったかなーという印象です。

いろいろなところで高評価の話を聞きましたから、期待値が上がりすぎたというのが大いにあるかと思います。

しかし、ドラマの作り方と言いますか、人間の掘り下げがもう少し足りなかったのかなとも思います。

物語は一人では成り立ちません。「風立ちぬ」の二郎さんと菜穂子さん。「スラムダンク」で言う流川と桜木のように。必ず二人のキャラクターの交流が物語の横糸になります。

この「ドリーム」の場合、主人公のキャサリン・G・ジョンソンさんと上司がそれにあたるのかもしれませんが、少し掘り下げが弱い印象です。

もっと言うと、キャサリン・G・ジョンソンが主人公な気もしますが、それ以外の2人も、同じくらいに重要であり、また、フィーチャーされています。

3人が主人公という構造になってしまったがために、掘り下げ方や、それによる盛り上げが中途半端になってしまったのかなと思います。

しかし、素材自体は非常に素晴らしいものですので、盛り上がりに欠ける、欠けない。泣ける、泣けないに関わらず、非常にいい映画だと思います。

こちらもオススメ

キャスリン・ビグロー監督の「デトロイト」は、1967年に実際にアメリカで起きた暴動と、その中で発生したアルジェ・モーテル事件について描かれています。

恥ずかしながら僕はこの事件について全く知らなかったのですが、なんとも言えない不幸な出来事に、アメリカという国の黒人差別の歴史について考えさせられます。

また映画としても、非常に緊迫感のある物語と説得力のある画で、とても面白いです。

詳しいことは↓に書いていますので、よろしければご覧ください。

『面白い物を観ようと思って観てはいけないが、充分面白いです。』-キャスリン・ビグロー監督「デトロイト」【映画レビュー(ネタバレなし)】

また、こちらは南アフリカの話ですが、「マンデラの名もなき看守」もオススメです。

 

こちらは「ドリーム」とは違い、ネルソン・マンデラを見張る役割の白人が主人公です。主人公と言っても「ドリーム 」と同様に、実際にいたジェイムズ・グレゴリーさんという方の手記が原作になっています。

主人公が社会の矛盾と直面し、少しずつ変わっていく過程が描かれていますので、その変化にドラマが生まれ、話として深い感動を呼びやすい作りになっています。

差別や偏見は、やはりお互いの理解やしっかりとした知識によってなくすことができるのだと思いました。

 

アメリカの抱える社会問題としては、先住民族の問題もあります。

「ウィンド・リバー」では今まで扱われることのなかった先住民族の問題をテーマにしたとても珍しい作品です。

こういった作品が作られることは、アメリカが変わり始めた兆しの一つと見る人もいます。

↓にレビューをしていますので、こちらもよろしければご覧ください。

『国に忘れ去られた町の物語』テイラー・シェリダン初監督作品「ウィンド・リバー」【映画レビュー(ネタバレなし)】

 

 

いかがでしたでしょうか。

途中個人的な話になって大変恐縮ですが、実際僕の住んでいる地域には外国人が多く、近くの団地の住人は、ほとんど外国人が住んでいます。

やはり、そこには怖いという思いが、若干ですがあります。外国人の方が住んでいるよりは、日本人の方が住んでいる方がそれは安心できます。

それは「違う」から「わからない」。だから「怖い」んだと思います。

でも、違うからこそ面白いないう思いもあります。

違うからこそ、それが個性であり、刺激にもなります。

些細なことですが、近くのスーパーには外国人向けの輸入商品がたくさんあり、見ていて楽しいです。

ぜひ、お互いの違いが尊重され、社会が、生活が、優しい方向に向かえばいいなと思いますし、もう大人ですから、その方向に向かうように、何かしらアクションを起こしていければいいなと思います。何をしていいのかはわかりませんが。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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