『感動したとか、泣いたとか、そんな感想に反吐が出る。』「白バラの祈り – ゾフィー・ショル、最期の日々 -」【映画レビュー(若干のネタバレあり)】

 

白バラ」をご存知でしょうか。

第二次世界大戦中のドイツにおいて行われた非暴力主義の反ナチ運動で、ミュンヘン大学の学生であるハンス・ショルとその妹ゾフィー・ショルクリストフ・プロープストヴィリー・グラーフアレクサンダー・シュモレル。そしてクルト・フーバー教授らの6人で構成されていました。

この映画はその中でも特にゾフィー・ショルさんに焦点を当てています。

恥ずかしながら僕は、この「白バラ」については全くもって知りませんでした。

この「白バラの祈り」という映画についても、存在自体全くもって知らなかったのですが、大学一年生の時に受講した『第二次世界大戦中のヨーロッパとドイツ』という教養の授業の中で、ちょうどこの映画が公開されたばかりだったようで、教授が昨日観て来たと紹介しており、試しに観てみたというのがきっかけです。

↑の予告では「世界がすすり泣いた壮絶な勇気の物語」などという言葉で締め括っていますが、そんな「泣いた映画」などというチープな言葉に吐き気をもよおすくらい…と言っても配給の会社がなんとかいろいろな人に観てもらうためにつけたキャッチコピーなんだと思いますが、しかし、そんな簡単なものではくくれない、くくってはいけないものがこの映画にはあります。

それは一人の人間の行動を記すことによって見えてくる、普遍性と時代性と少し間違えればそれが再び繰り返されてしまうであろう危機感を孕んでいるからだと思うのですが、ひとまず、あらすじから、この映画を紹介したいと思います。

あらすじ

1943年2月18日、ハンス・ショルとその妹ゾフィー・ショルは、ミュンヘン大学校内でヒトラーを批判するビラをばらまき、ゲシュタポに逮捕されます。そこからの5日間、90年代に新たに出た証言と、資料をもとに、ゲシュタポによる尋問と裁判の様子を描きます。

そもそも物語として、ちゃんと面白いです。

ゲシュタポと主人公ゾフィー・ショルの尋問中の舌戦や、裁判の様子が主になってきますので、セリフが多く、少し疲れる部分はあるかもしれませんが、大学にビラをまく時の緊張感や、作品全体を通して心理描写が丁寧で、しっかりと作品に入り込むことができます。

なによりもこのゾフィー・ショルという女の子がまだ若干21才であり、そのふとした幼さが表に現れる時に、その若い命の使い道に、待ち受ける悲しい運命に、憤りと無力感と罪悪感と、なんとも言えない感情が湧き上がってきます。

描かれているのは、危険を犯してまでヒトラーに歯向かった一人の誇り高い女性の5日間であり、未来ある若者の、明日を夢見た青春の姿であり、21年間生きてきた女性の人生のほんの5日間でしかないのです。

ゾフィー・ショルという英雄もまた、私たちと同じ一人の人間だったのです。

この人と比べて自分は今何をしているのだろうかと、大学一年生の当時、省みてしまったのをよく覚えています。

時代が変わり、法律は変わっても、「良心」は変わらないはず。

ここからは少しのネタバレを含みながら、作品を観た際に感じたことを、つらつらと書いていこうと思います。

映画の作り方によるのかもしれませんが、この映画で顕著に感じるのは、権力を持ち、守るべきものがあり、観念が凝り固まってしまった大人たちの愚昧さです。

僕も30代を少しすぎた時に、固定観念の壁と危険に飛び込む後先考えない心が減ってしまったことを大きく感じました。

20代前半と比べれば、それなりに生きていますし、経験も知識も積んできました。その自負が、無意識のうちに物事をフィルターを通して見てしまいがちな傾向を生んでいると思います。

また、体力の減少やこの先の未来が短くなっているであろうことからも、危険に飛び込む勇気を、無くしてしまっているものと思います。

これら二つのことに自覚している者は罪悪感と、反省の中で、無自覚の者は無意識にも自分に嘘をつき、社会に順応していくのかもしれません。

「社会に順応する」とは、作品中ゾフィー・ショルが全くの意味をなさない国選弁護士を責めた時に、弁護士が憤慨し、去り際に放った一言です。

社会に順応するのが正しいとした時に、その社会が正しく無かったらどうなるのでしょうか。

しかし、自分がこの弁護士のようにはならないと言い切れないのは、今、この年齢になって本当に深く感じます。

戦うことには体力がいります。強大な敵に募る無力感は、自分に嘘をつくことを強いられます。

ゾフィー・ショルは「良心」という言葉を、ゲシュタポとの舌戦の中で使いました。

自分はこの先も「良心」を持ったまま生きていけるだろうか。

わかりません。わかりませんが、生きていきたいと思ってはいます。

大きなことを言い、物事を矮小化してしまう大人たち。

では、この愚昧な大人たちはどんな特徴を持っているのか。

最も強く感じたのは、大きなことを言って、小さなことを封じ込めるということです。

例えば、ゲシュタポは取り調べの時にゾフィー・ショルにこんなことを言います。

君らは学生の特権を乱用している。戦時下で勉強できるのは政府のおかげだぞ。

君らは食料配給権を受け取っている。私より恵まれている。何が不満だ?
なぜ反対の声をあげる?総統に守られているのに。

また、裁判の時に、裁判官はこんなことを言いました。

被告は第三帝国から学費の援助を受けている。しかも国家社会主義政策のおかげで、学生の身分で家庭も持っている。だがショルに求められて中傷ビラの原稿を書いた。

国家社会主義政策のおかげで4年も学んだわけだな?それは帝国の費用だ。お前は寄生虫だ。

学生の義務は共同体のために働くことだ。被告はドイツ国家の援助を受けながら、(中略)軍需工場での業務放棄とレジスタンスを呼びかけた。さらにドイツ国民に政府とナチの方針に抵抗するように煽動した。

卑劣なことに妹まで巻き込んだ。

ビラの紙はどこから入手した?なるほど、大学からか?国民の財産を盗んだわけだな。ドイツは紙不足なのに。反逆者は平気で盗む。

なにかうまく説明できませんが、学生どうこうと関係なく、戦時中であることと関係なく、緊急事態であろうと関係なく、勉強することや家庭を持つこと、そして自由に発言することは、人間そのものに生まれつき備わり、与えられた権利であると思うのです。

それが政府や、場合によっては親や、その他からの恩や、施しがあるからと言って発言することを責めることは、議論の本質をごまかしているにすぎないと思います。

またもうまく説明できませんが、これは現代にも当てはまることだと思います。

うまく例が思い浮かびませんが、「○○なんだから××だろ」みたいな。なにかこのワードに引っかかる言葉があったと思うのですが。日常の中で感じる違和感があったと思うのですが、すいません。

思い出し次第、書きたいと思います。

強い言葉に酔い、現実を見ようとしない大人たち。

もう一つ感じたことは、大人たちはよく叫び、そして強い言葉を使うということです。

流血の後、自由と繁栄が開花する。

新しい時代の始まりを理解するのだ。

我々は支配民族だ。

武力の嵐でドイツは浄化され、偉大になるのだ。

↑の言葉からは、とても観念的で、具体的な内容はなく、どこか思考停止な印象を受けます。

また、強い言葉を使用する人は、他人の弱く、曖昧な言葉を見つけるとひどく非難します。

裁判中、クリストフ・プロープストが何気なく漏らした「ただの草稿です」という言葉に

ドイツ存続の戦争中に“ただの”だと?

という、とるに足らない部分に注目し噛みつきます。

なにか、Twitter上の意味不明な炎上を見ているようで、少し嫌気が差しますが、全体主義の持つ特性というよりは、人間の特性を見ているような気もします。

本当のことが見えているのは、若い人たちだけなのかもしれない。

メンタリストのDaiGoさんが、しくじり先生に出演していた際に言っていたのですが、人間は他人に嘘をつくよりも、自分に嘘をつくことの方が多いそうです。そして自分につく嘘はそのうち本当のことになってしまうそうです。

尋問の際、ゾフィー・ショルとゲシュタポの間に、こんなやり取りがあります。

1941年から大勢のユダヤ人が東に労働に行かされたわ。

バカな噂を信じるのか?ユダヤ人は自ら移住した。

死の収容所に送られたのよ。
ヒトラーは20年前からユダヤ人抹殺を説いてるわ。
ユダヤは私たちとどう違うの?

災をもたらした。
君はわかっていない。間違った教育のせいだ。
私に娘がいれば君のようには育てなかった。

(ここで筆舌に尽くし難い、ナチスが行ったショッキングな内容の話をします。)

彼らに哀れみを感じるのは間違った教育のせい?

………価値のない命だ。

柔軟性をなくし、固定観念にとらわれてしまった大人は、自分がいつの間にか作ってしまった色眼鏡で、物事を見てしまっていることにも気づかずに、自らを正当化しながら社会に順応していくのかもしれません。

であるならば、柔軟性も固定観念もまだなく、曇りなき眼で見定める力を持つ若者たちの方が、本当のことが見えているのかもしれません。

未熟で経験も知識もないからとバカにせず、若者たちの言うことにしっかりと耳を傾けることが大事なのではないでしょうか。

と、今書いていてこれって当たり前のことだよな…と思ったのですが、当たり前と思えることほど実際はできていなく、そして難しいものだと思います。

未来を担うのは若者たちです。かと言って全部を若者に任せて丸投げしていいとか言うわけではなく、若いからと吐き捨てず、若者から学んでいく、若者と共に学んでいく姿勢が大事なのではないでしょうか。

 

うん。後半、映画の感想とは言い難い内容が続きましたが、多様性こそが力と考えた時に、こんなレビューも、その一環として受け入れていただければ幸いです。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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